ネチカ 〜野良学的秩序によって証明された〜

世間をゴロニャンと斬りまくる、ネコの哲学、だったけど最近は日記。




バラバラ事件

2019年9月9日(月)
平和島へアルバイト。
が、台風が直撃し交通が全面的にストップしているとのこと。
空模様を見ると、なんとなく落ち着いてきているように見えたので、とりあえずいつものように朝6時に駅に向かってみる。
が、外に出てみるとやはり様子は違っていて駅に到着する直前で強風によりビニール傘が完全に崩壊。人生で初のビニ傘バラバラ事件です。
なんとか駅に到着するもやはり電車は止まっている。しばらく待って様子を見ていると駅員さんからのアナウンスで9時頃運行予定とのこと。

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仕方なく家に戻ろうと思ったが傘は壊れてしまった。妻に電話して迎えに来てもらおうかと思ったが、迎えに来てもらっても今の暴風だと妻も同じく傘を崩壊させそうだったので、諦めてコンビニで雨合羽を購入。これでなんとか家に戻れる。こういう時は雨合羽が有効と知る。
8時過ぎには雨が止む。
9時頃に再び駅に向かい9時半頃には電車が動き出す。満員電車に揉まれてやっと新宿に着くと、山手線は止まっていてホームへの入場制限で長蛇の列。これは無理だと諦めて大江戸線で大門、そして浜松町というルートを選択。そこからモノレールに乗れば「流通センター駅」という職場からすぐ近くに到着できるという寸法。
ところが浜松町に着いてみるとモノレールに乗るための長蛇の人々を見て断念。かろうじて山手線の入場制限はなく動き出しているようなので、外回りにて品川、京急にて平和島という経路に。
各乗り継ぎ駅で結構待たされたので8時45分頃家を出て、11時半に倉庫に到着。勤務開始が11時45分となりました。
それでも到着はまだ早かった方で、後から続々と同僚が到着。とはいえ普段の7割ほどの人員で、さらに遅れての作業。昼食休憩が2時過ぎとなり、20時まで残業となりました。さらに台風の影響で異様に蒸し暑い、地獄のような一日だった。
同僚とサッとコンビニ呑みして帰る。

2019年9月10日(火)
平和島へアルバイト。
この日も異様に暑い。
残業せず。
帰りがけに同僚とコンビニ呑み。

2019年9月11日(水)
平和島へアルバイト。
若干、暑さが和らぐがそれでも汗だく。
やはり残業せず、帰りがけに同僚とコンビニでお酒を買って、外で呑んでいたら雨が振り出し猛烈な雨に。
思わず屋根のある喫煙所に避難する。
ただ待つのもアレなのでともう一杯お酒を買ってきて呑み出す頃には雨も小降りに。
帰る途中の別の同僚も合流して呑みだす。その彼がポツリと「平和島も明日で最後なんで」と言う。
前から本業に集中するのでそろそろ辞めるとは聞いていたが、ちょっと時期が早まったそうだ。

2019年9月12日(木)
平和島へアルバイト。
かなり涼しい。作業もわりと楽な一日でした。
久しぶりに辞めていく同僚の似顔絵を描く。また寂しくなる。

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帰りがけ、一緒に呑む同僚もいなかったのだが、風が気持ちいいので一人でコンビニ呑み。

2019年9月13日(金)
平和島へアルバイト。
朝、アラームをかけ忘れて少し寝坊。
妻が朝食やお弁当を用意できず、久々にコンビニで朝食&昼食を買う。
さらに涼しい一日。だんだんと秋になっていきます。
この日も帰りがけに一人コンビニ呑み。

2019年9月14日(土)
この日はお休み。
朝、気になったので論文集『ドゥルーズガタリの現在』に収められた近藤和敬氏の「『差異と反復』における微分法の位置と役割」という論文を読む。この論文は『知の欺瞞』でアラン・ソーカルに指摘され批判されたドゥルーズの数学的概念の用い方の誤りについて丁寧に論証し、更なる思考の展開へと繋げるもの。ソーカルへの反証はもとより、ドゥルーズがどのようにカント哲学を乗り越えたか、「解なき問題と理念」「差異と反復」「副次的矛盾」等重要な概念について的確に整理されているので、定期的に読み直したりしています。

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日中はDVD『ジル・ドゥルーズの「アベセデール」』を観たりしてマッタリと過ごす。
「アベセデール」はABCD〜とアルファベット順に並べられた項目についてドゥルーズが語っていくというTVシリーズ。全体で約7時間半のボリューム。面白いのは同じ言葉の繰り返しのなかで、徐々に言葉が変化し矛盾した事柄も包摂していく所。そしてドゥルーズの生の語りは、文章を読むのとまた違った親しみやすさと味わいがあります。
夕食後に録画してある映画『メッセージ』を観る。この映画のもう一つの側面、対話し理解し合うこと、どのように恐怖を克服するか、または疑いはどのように対話の場を崩壊させるかなど、偶然ですがタイムリーなテーマが詰まっていました。