ネチカ195
若い頃はほんとに持て余してたし、無駄遣いしてたよなぁと。
歳をとると「若い時に出来ることをもっとしとけば良かった」と思ったりするものなのですが、実際に若かった頃は、自分が若いということがあまり嬉しくなかったりしてました。
ネチカ194
誰にでも「何かを期待して待っている」という気持ちは心のどこかにあると思います。どこかにチラリとあって、ちょっと切なくなるような。
その気持ちは大切なんだけど、気にかける程度で、あまり大きくしない方が良いたぐいのものなのですが。
ネチカ193
この場合「解」の意味が「問題に対する答え」「目標達成する為の手順」なので、「解(ほど)ける」という意味との取り違えが原因である。といったような説明は理詰めなのでつまりません。
では言葉を入れ替えて「無理なことを理解する」としたほうがスッキリします。ん? ちょっと待て、理が無いんだから、理解するなんて到底無理だ。ムムム。
「理は形の無いものなので人によって理解は違うし、場合によって無理も通ってしまうものだ」おっ、コレは綺麗です。
で、猫に言わせると「理解も無理も爪を引っかけて登りやすそうな字面」だそうです。
ネチカ192
例えば私の場合は「山なんて登ったって疲れるだけだし何が楽しいんだか…」と思っていたのですが、実際に登ってみたらこれがスコブル楽しい。
「妻が韓流にハマってるから付き合いで韓国旅行するけど、日本と似たような国に行って何が楽しいんだか…」と思っていたのですが、これまた実際に行ってみたらスコブル楽しい。
あと子供の頃は温泉旅行なんてすごく退屈だったのですが、今は明日行けるんならすぐに行きたい等々、大人になって好みが変わったものも色々あります。
ネチカ191
猫は色々落とします。だいたい机の端っこにあるものは落とします。チョイチョイとやって落とす場合もありますし、ズイズイと押し出す場合もあります。ホントに色々落とします。
けれども何故でしょう、猫に落とされると「あっ、落とした」と、思いつつも心のどこかがUPした気がします。
ネチカ190
と言われてすぐに柔軟に出来るほど単純だったら良いんですが、そうはなかなかいきません。
「簡単そうにみえていきなりするのは難しい要求を相手にして、自分の自由さを誇る」という行動は猫の十八番っぽいです。
そしてそれを芸にしている芸能人もいたりします。あ、もちろん松岡修造さんのことですよ。
ネチカ189
人を馬鹿にしたり見くびったりするときの「なめる」は漢字で「無礼る」と書くんですってね。そうすると昔に一世を風靡した例のアレは「無礼猫」となりますね。
ちなみに猫の舌はザリザリしているので、手とか実際に舐められるとなかなかの威力があります。
そして行灯の油を舐めると化け猫になっちゃいますが現代では行灯を使う家もほぼ無いと思われるので猫は化けなくなったとさ。
ネチカ188
大人になったら誰にも躾けてもらえなくなってしまう、ということは肝に銘じておかなければならないのであります。
また、忠告してくれる人を大切にするべきなのであります。
さもないと入るべき穴を探すはめに陥るのであります。
ネチカ186
私はじゃれ合ったりふざけ合ったりしている時に幸福を感じるし、何かを手に入れている感じがします。
家族とでも良いですし、同僚とでも良いですし、友とでも良いですし。たあいない関係が成立するのって、重要なんじゃないかと。
え? 猫や犬とはどうなんだって? それは家族の内です。