ネチカ 〜野良学的秩序によって証明された〜

世間をゴロニャンと斬りまくる、ネコの哲学、だったけど最近は日記。




トレース? トレースっつーのはな、こうやるんだ、バッカモーン!

我ながら挑発的な見出しだ。反省しよう。
反省……

さて、例の人気イラストレーターさんのトレパク事件を機に、人気あるなしに関わらず自らの過去の仕事や行いに「ヤバいものはないか」と心を巡らせた同業の諸氏も多いことでしょう。
私もそうであります。

私の仕事の場合、それが出来ないのと、そもそも意味が無いので自分で撮った写真資料があってもトレースはしていない。
私が仕事で描くのは主に街の鳥瞰図とリアル系の料理の絵。
鳥瞰図の場合はそもそもトレース出来る元絵が無い。Googleマップやアースの3D表示は参考に見ることはありますが、細部が雑なので、絵を見て建物の構造が分かるように描くには現地を取材するしかない。特にTHETAで360度画像をたくさん撮ることが重要です。それを元に一つの画面にわかりやすく再構築します。全ては描けないので端折ったり、必要な建物や道を強調したりしつつ全体をまとめるのです。
そして料理はトレースする意味が無い。全て曲線や粒子、濃淡で構成されている。つまり料理ってほとんどテクスチャーです。
取材時に撮影した写真と食べたときの記憶をもとに試行錯誤しつつ出来るだけ美味しそうに描くしかない。
まあ、ご飯粒とかイクラとか泡とかザラザラした質感とかをトレースしたければそうしてください。
私はしたくありません。
ただ、スケッチした鉛筆画に直接絵の具で描くのは好きではないので、トレース台を使います。
けれども絵の具で描く時に明かりが点灯していると筆のタッチが分からなくなるので、大体の位置を把握したら消灯します。
こまめにパチパチと点けたり消したりを繰り返して作業します。

トレースをしていないとはいえ街中の風景や料理人が作った料理の絵なので、純粋な創作とは言いがたいかもしれませんが、
そんなことを考え出したらキリがありません。

そんなわけで、あんしん、あんしん、
あ。

あった。

あの仕事……。

 

 

 

2006年の事だから、今から16年ほど前の事です。
アートディレクターの松田行正さんから声がかかり、念願の牛若丸の書籍の制作に関わることになりました。
松田さんから「マルセル・デュシャンをトレースしてみない?」と誘われたのです。
『アンフラマンス 梱包されたデュシャン』という書籍の企画。主なデュシャン作品をトレースし箱としてデザインし再構成したもの。各ページに1作品。それぞれにミシン目と折り目が入り、簡単に切り離してデュシャンの箱が作れるというもの。
ちょっとした玩具のような造本。
デュシャンは現代美術、もしくはコンセプチャル・アートの先駆けの人なので、絵画のトレース云々という文脈とはあまり関係がない作品を残した人です。有名な『泉』という作品は、既製品の小便器の向きを変えて、サインをしただけのものだったりします。
私が担当したのは本に掲載する全48作品のうち、初期の油彩画14作品と中、後期の2作品、そして遺作の1作品、合計17作のトレースと箱のデザイン。
その他、少しお手伝いしたのがチョボチョボといったところ。
初期のデュシャンが自ら描いた油彩画などは後に制作されたレディ・メイドやオブジェのエッセンスを構成するものとして、それなりの作家性があると言えるでしょう。
後期の面白いレディ・メイドやオブジェではなく初期の油彩画が担当ということで、
「あらぁ、なかなか面倒臭い題材を……」
とは思いましたが、光栄な事だし是非にとお引き受けしました。

私の前に別のイラストレーターさんがテスト版を作成していて、その人はPhotoshopタブレットを使ってトレースしていたのですが、松田さん的には「こういうのじゃないんだよね」という思いがありました。
松田さんと私の気分的には、当時流行っていた広告の表現が頭にあったと思います。
うろ覚えですが木村拓哉さんの写真を16階調ぐらいでトレースした広告作品だったと思います。
多分Illustratorを使って手作業でトレースしたものだと思います。
その当時、アドビ・ストリームラインという画像をトレースする専用ソフトがありました(後にIllustratorと統合)。
ただこの頃はストリームラインの精度もあまり良いものではなく、手作業でパスを引いていく方が(「パスを切る」という言い回しもありました)仕上がりが良かった。
でもそういった表現を見かけると「これストリームラインでやったんでしょ」と、言われてしまったりもする時代でもありました。
私も当時、ストリームラインがIllustratorに統合されたかされないかのタイミングで、いずれかで実験してみたのですが、やはり手作業の方が良くなりそうだと判断しました。
そんなわけで、私もIllustratorデュシャンの画像を元に、コツコツとパスを引いてトレースしていったわけです。
デュシャンの初期の油彩画は曖昧な表現が多く、どこからどこを区切って線を引くかが難しい。ちょっと迷い込むと延々複雑な軌跡をたどることになります。
なので作業しながらちょっとパスが複雑になり過ぎていると気づくとラフな感じに戻し、いつの間にかまた複雑になってきたのを我にかえってラフにと、行ったり来たりを繰り返しながらの作業でした。
中には「L.H.O.O.Q」など生真面目にトレースしても面白くないものはIllustratorのエフェクトを使って仕上げたりしつつ。17作を仕事の合間に作業して約半年がかり。
最後には松田さんに「エクセレント」なんて褒めていただいたのを嬉しく思ったり。

f:id:goodrock:20220216162705j:plain

f:id:goodrock:20220216162749j:plain

f:id:goodrock:20220216162814j:plain

f:id:goodrock:20220216162843j:plain

f:id:goodrock:20220216162906j:plain

f:id:goodrock:20220216162929j:plain

そして、
しばらく時間が経って、思い返してずっと引っかかっていた事があるんです。
「やっぱりアドビ・ストリームライン使ったって同じだったのでは、たいして仕上がりに違いはなかったんでは?」
と。
当時散々実験して吟味したのに、時間が経つと自信がなくなるんですね。

これも良い機会です。昔のデータを引っ張り出して、比べてみよう。ストリームラインはもう無いから現在使っているIllustrator CS6の画像トレースと私がトレースしたのを比べてみましょう。
「たいして変わらず手作業でトレースしても意味なかったじゃん」
という事が判明しても、もう16年も前の話。今ならダハハと笑う事ができます。

まずは「洗濯船」という作品の元画像。

f:id:goodrock:20220216163157j:plain

そして私のトレース。
これ結構褒められたヤツ。

f:id:goodrock:20220216163220j:plain

Illustrator CS6の高精度トレース。

f:id:goodrock:20220216163243j:plain

細か過ぎてあまりトレースしたように見えません。
なのでお次に低精度トレース。

f:id:goodrock:20220216163311j:plain

で、各画像の拡大比較。

f:id:goodrock:20220216163339j:plain

なんかあまり変わらないとはいえ私がトレースしたのはCS6の高精度と低精度の中間ぐらいで、なんとなく痒い所に手が届いているような仕上がりにみえます。

お次「画家の父親の肖像」

f:id:goodrock:20220216163453j:plain

その拡大

f:id:goodrock:20220216163534j:plain

これは私のトレースが有利だった物件かな。
次は「ショーヴェルの胸像」の拡大比較。

f:id:goodrock:20220216163731j:plain

これも手でトレースして良かったかな。
次は「階段を降りる裸体2」の拡大比較。

f:id:goodrock:20220216164006j:plain

これはギリギリの線。私のトレースが一番シャープですが、今見ると陰影をもっと単純化すれば良かったかと思います。
そして「(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ」(通称「遺作」と呼ばれる作品)の拡大比較。

f:id:goodrock:20220216164550j:plain

これは最後にトレースしたものですが、個人的には失敗だったかと。
元画像が立体物を撮影した写真だったので、ラインを判定するのに手間がかかると思い、Photoshopのエフェクトをかけてから、それをトレースしたもの。
エフェクトしたのと、これが最後と細かくトレースし過ぎてしまい、全体にあまりトレースした意味がなかったかな……。という仕上がりに。多少、私のトレースが良いかな。自己満足です。

手作業でトレースする意味があるかないかのギリギリを攻めたので、絵の形というか、作家の無意識の部分が掴めたような気が当時はしていました。
ともかく今回のトレパク事件をきっかけに、自己検証してみて良かったです。

この後から、私はトレース作業はたとえ自分で撮った写真でも避けるようになり、さらに絵の中で直線を描く必要があっても定規を使わないという極端な描き方になっていきました。

昨今、巷では「トレース=悪」みたいなことになってきていますが、
場合によってはアリなんですけどね。
そう思ったりします。

で、問題のイラストの人になくて、私のトレースにはあるものって何かなと考えると、絵を描くことについてのフェティシズムじゃないかなと。
私のは創作性は全くないけど作業へのフェティシズムだけはたっぷりあると。
問題の人には女のコへのフェティシュはあるんだろうなぁとは思いますが。

『アンフラマンス 梱包されたデュシャン』という本もデュシャンの画集ではないし、いわばデュシャンへのフェティシズムだけで作られた本。
そう考えるとなんちゅう珍妙な本を当時、出してたんだなと。