ネチカ 〜野良学的秩序によって証明された〜

世間をゴロニャンと斬りまくる、ネコの哲学、だったけど最近は日記。




Outer Wildsとリトルネロ

おひさしぶりです。
世間は色々な有様でございますが、最近痛く感動したゲームについて書きます。
柄にもなくゲームのお話。

ネット各所で口コミでじわじわと評判になっているゲームといえば「ああアレね」と言われてしまう、例の『Outer Wilds』を昨年後半に購入し、飛び飛びで遊びつつ2週前ほどにようやくクリア致しました。
(「例の」とはいえ、ごく一部の盛り上がりなので、多くの方は知らないと思われます)
「万人向けではないが刺さる人には刺さる」「ライトなゲームかと思ったらハードSF」「鬼畜難易度だけれども、頑張ってクリアした人の何割かは生涯忘れられないゲームになる」「クソゲー要素と神ゲー要素が混在し、その両方でもある」などなどの評が代表的でしょうか。
私といえば他のクリアされた方々同様、このゲームの事が頭から離れなくなっています。ツイートやブログ、実況動画など色々徘徊してみるにつけ「クリアした人は高確率でそうなる」と言って良いかと思います。あっさりと次に移行できず、延々と引っ張られ続ける。けれどもゲームの構造上、一度クリアしてしまうと記憶を喪失しない限り、もう二度とあの高揚感は味わえない。なので普段の生活でもちょくちょくOuter Wildsのことを考えてしまい、名前を目撃したり聞いてしまうとソワソワしてしまう。関係ないことも空耳、空目する。いちいちこじつけて嫌がられる。NASAなどの惑星探査機の着陸画像に妙な反応をしてしまう。その動画がモノクロだとさらに反応する。記憶喪失になりたいとつぶやく。実況動画はどれもだいたい常連さんのスナック状態。等々。
一部で「Outer Wildsゾンビ」とされている症状です。

まだプレイされていなくて、今後プレイするつもりであれば、もうこの段階から以下は読まないですぐプレイしてほしい。そういうゲーム。


宇宙探査、ループ、量子力学、ファーストコンタクトなどゲームを構成する各要素はさほど斬新ではないし、何ならそこで語られる物語もさほど奇抜なものではない(私としては「最近ループ物、多すぎ」と思っていて「またですか…」と)。ビジュアルだって昨今のスーパーリアルなゲームと比べるとちょっと見劣りする。けれどもそれらをしっかり連関させちゃんと駆動させると、ここまで斬新なゲーム性と物語になる。そういう驚きがありました。
道具立ては普通だけれどもアイデアとテーマが斬新なゲーム。

ネタバレしない程度にサラリと説明すると(それでもゲームにとって若干マイナスですが)、
主人公は新米の宇宙飛行士で、自らが住む星系を探索する旅に出ます。ところがこの星系の太陽は寿命を迎えており、22分後に超新星爆発を起こしてしまいます。主人公も巻き込まれて死んでしまいますが、ある事がきっかけでタイプリープに入り込み22分前に戻って再び目覚めます。主人公はこのループを繰り返しながら、この惑星系を探索し、崩壊する宇宙とループの謎を解き明かして行きます。
操縦する宇宙船(探査艇)は、無重力と重力空間をブースターを使って移動し、惑星に離着陸するなどわりとリアルに作ってあって難しいです。その分、慣れてくると逆に爽快感があります。
物語を進めるにあたって各所に設置された謎もまたかなり難しいです。「鬼畜難易度」です。けれども各所を丹念に探索するうちに、ひょんな事からパッと明かりが灯るように謎が解けたりした時のカタルシスは素晴らしいものがあります。
ゲームの作者が『好奇心駆動型ゲーム』と言うように、謎解きの爽快感がこのゲームのコアを為し、またそこで解き明かされる物語の意外な展開と疑惑、そして切なさや深さに引き込まれていきます。
このゲームが「ネタバレ厳禁、攻略法も出来るだけ見るな」と言われるのは、上記のような理由からでしょう。
なんの説明も無いまま、いきなりオープンワールドのゲーム世界に放り込まれるので、最初は何をするのかわからず、しばらくは面白さがわかりません。そして無重力空間での探査艇の操作は慣れないと目がグルグル。
そんなわけで途中で挫折する人も多く、そうしたクリアするまでのハードルの高さと、物語の完成度の高さ、そして様々に解釈できるラスト、それ故、クリア後に多くを語りたくなってしまう。
そんなわけで現在Outer Wildsについて考察した様々なブログが日を追うごとに立ち上がっていますが、私も感想と考察を書き残したくなってしまったわけです。
とはいえ先人の方々によってもう大体の考察は出尽くしていますので、ここではあまり語られていないような部分について、コジツケ的にダラダラと記しておこうと思います。

念を押しますが、以下はネタバレを多く含みます。それが嫌であれば読まないで下さい。

 

 

 

私が最初にこのゲームのトレーラーを見た時に(惑星や星系の造形はゲーム的な都合が大きいとは思いますが)、ふと『星の王子さま』的な造形の星々だなあと思いました。そして内容もあの手のファンタジーだとちょっと辛いなと若干躊躇しました。
そんなことは全然なかったんですが。
ただ全く関係ないかというとサン=テグジュペリは飛行士兼作家であり、冒険家的な立場の人でもあり、偵察飛行中に地中海で行方不明となった最後など、多少のリンクはしているかなと。
それ以外に私はTHETA(360度カメラ)のリトルプラネットという、風景を小さな天体状に加工した写真が好きで、ああいう世界を歩き回ってみたいなぁと思っていたのですが、このゲームはそのまんまですね。たぶんこのゲームの作者はリトルプラネットが好きなんじゃないかと。そんなことはないか。逆に考えるとOuter Wildsにハマった人はTHETAを購入してリトルプラネットを作りまくりましょう。
単純にあの惑星系のビジュアルはワクワクします。

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このゲームは、音楽が素晴らしいと評判ですが、プレイする上でも音楽や音そのものが重要なアイテムとなっています。多少ロマンチックでセンチメンタルな部分があったりしますが、それはあくまで盛り上げるための演出やオブラートの部分で、音楽がサバイバルに必要な、切実なものとして描かれているように感じます。実際、口笛や楽器の音を探知しその場所を探すことが大きなカギになっていますし。
「獲得するアイテムやレベルアップがほぼ無いゲーム」とはよくいわれますが、私はこのゲーム、メロディーや音が獲得アイテムの役割になっているんじゃないかと。

このゲームを遊んでいる途中、前からずっと読み続けていた『千のプラトー』という本で、ちょうど音楽について考察している章に差し掛かり、かなりOuter Wildsの音楽に対する考え方と似ているように感じ、私なりの物語の理解にも繋がったので、少し長くなりますが以下に引用してみます。

「I 暗闇に幼な児がひとり。怖くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ちどまる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ。〈中略〉
II 逆に、今度はわが家にいる。もっとも、あらかじめわが家が存在するわけではない。わが家を得るには、もろくて不確実な中心を囲んで輪を描き、境界のはっきりした空間を整えなければならないからである。〈中略〉声と音の成分は特に重要だ。それは音の壁であり、少なくとも壁の一部は音響的なものである。一人の子供が、学校の宿題をこなすため、力を集中しようとして小声で歌う。一人の主婦が鼻歌を口ずさんだり、ラジオをつけたりする。そうすることで自分の仕事に、カオスに対抗する力をもたせているのだ。ラジオやテレビは、個々の家庭にとってはいわば音の壁であり、テリトリーを表示している(だから、音が大きすぎると近所から苦情が来るのだ)。〈中略〉
III さて、今度は輪を半開きにして解放し、誰かを中に入れ、誰かに呼びかける。あるいは、自分が外に出ていき、駆け出す。〈中略〉身を投げ出し、あえて即興を試みる。だが、即興することは、世界に合流し、世界と渾然一体になることなのだ。ささやかな歌に身をまかせて、わが家の外に出てみる。ふだん子供がたどっている道筋をあらわした運動や動作や音響の線に、「放浪の線」が接ぎ木され、芽をふきはじめ、それまでと違う輪と結び目が、速度と運動が、動作と音響が現れる。」
(『千のプラトー』中 資本主義と分裂症 11 一八三七年 リトルネロについて ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ著、宇野邦一他訳、河出書房新社刊より、317頁)

要約すると「歌はカオスから身を守る方法であり、音は壁をつくりもし、外に出て世界と合流する方法でもある」といった感じでしょうか。
「生き残るための音楽」というスタンスは『千のプラトー』にもOuter Wildsにも共通するもので、ブルースマンやロックミュージシャンなど、ストリートや底辺からの発想(中村とうようっすかね)に感じられて、私は大好きな感覚です。

物語の終幕は他では得難い味わい深いものでした。
言わば「自らが消滅してしまうことを軽やかに肯定的に描いた物語」
そう形容すると小説なら『ガープの世界』、映画なら『アメリカン・ビューティー』などを思い出します。ただこれらの作品はむしろ「だからこそ生きた瞬間を大切にしよう」というメッセージが感じられ、Outer Wildsはそこともちょっと違う。とにかく死にまくるゲームですが、死を恐れるよりもその先にあるものを提示されているように感じる。宇宙の眼でのセッションは消滅することを控えめに、そして静かに祝祭しているように思えました。ロマンチックにも見え、でもかなりシビアーなラストでもあり。消滅は次への架け橋という。ふと、ミクロとマクロが交差する展開から考えて、主人公は一つの精子的なものになって卵子的な宇宙の核と合体、っていう風にもみえたり。
そういえば星系のあちこちにノマイの遺体が転がっているので、死のイメージが色濃い。でもゲームを進めるうちに単なる骨という物体から、ちょっと怖かったり、またはひょうきんにみえたり、そして悲しくなり、最後に愛おしくなってきます。
かなり重いテーマを扱っているにもかかわらず、どこかいつも明るく爽やかです。

さて『Outer Wilds』を気に入ったのであれば、こちらもオススメ、という作品は色々と挙がっていますが、私からは


銀の三角萩尾望都著。全1巻。


白泉社から文庫版も出ていますが、できれば早川書房から出ているハードカバーで読むのがおすすめ。分厚いです。
絶滅した種族の音楽を巡って、過去と未来、何光年もの星間移動をし、崩壊する宇宙の謎に迫る物語。
若い頃から大好きな一冊です。

さて「クリアしてしまうと、もう次は同じように楽しめなくなってしまう」と多くの人が語っていますが、私はわりとスルメのようにちょくちょくしゃぶってます。全ての場所を巡礼するつもりで、丁寧に巡るとまた違った感動がある。
寝かせてはしゃぶり、寝かせてはしゃぶり、をチョコチョコと繰り返していると気がつくと結局Outer Wilds漬けになってるんですが。
今年の夏にNintendo Switchで発売はめでたい。
これを機会に日本語訳をちゃんとし、誤字脱字を直したニューバージョンを全てのプラットホームで是非とも作って欲しいと思っています。
好みとしてはちょっとだけ村上春樹かぶれな感じの文体、もしくは伊坂幸太郎風でどうでしょう。
なんて