ネチカ 〜野良学的秩序によって証明された〜

世間をゴロニャンと斬りまくる、ネコの哲学、だったけど最近は日記。




ネチカ168

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僕はこういう人なのだから、こんな事はしてはいけない。私はこのように生きて来たのだから、次はこうしなければいけない。
禁止されている事が何なのか、すべき事は何なのか、私は大人なのだから十分に理解している。諦めが肝心だし、安定を選ぶべきなのだ。
とか言っちゃって「大人になっているプレイ」をしているワケです。
前にもチラッと書きましたが、肝心な事は本当はもっと別な所にあると思うのですが。

ネチカ166

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失礼ながら、古くは渥美清さん、石立鉄男さん、川谷拓三さん、おなじみなのは武田鉄矢さん、西田敏行さん、田中邦衛さん、今だと荒川良々さん、香川照之さん、阿部サダヲさん。パッと思いつくのはこの辺りの方々かなと。所謂イイ男ってやつですね。憧れてしまいます。

ネチカ165

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いえ語り合うというか、論争することそのものが娯楽なので、同意は必要無いのです。
とも言い切れないので、戦闘意欲の沸き上がる意見の違いと程よい同意が欲しいのです。
ドシャメシャな現場に巻き込まれたくないので、傍観者として知った風な事が言ってみたいんですっ。
高見の見物は猫の得意技です。
異論反論オブジェクションでした!

ネチカ164

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一旦、人からそのように評されてしまうと、もうその言葉が頭から離れなくなってしまって、自らもその言葉に縛られてしまうような言葉があります。
子供の頃のバカだのアホだのの言い合いは可愛いものですが、例えば「もう大人なんだから」という言葉もひとつの呪いの言葉だといえます。
占いの言葉「今日のあなたは運勢が良い」、予言の言葉「あなたは大器晩成型だ」などもそうでしょう。
一見、良い言葉のように見えて、実は落とし穴だったりするのです。

ネチカ163

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全ての存在は必ず何かと関わっているし、変化しないものはないので、むしろ何かと関わらないようにしたり、変わらないようにするには相当な努力が必要だということになります。
確かに何かと関わらないように、そして変わらないようにしようとするほどに、無駄な軋轢が多くなるような気がします。
「そんなことわかってるけど一人にしといて!」って気分の時があったりするので、困ってしまうのですが。

ネチカ162

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「好き」の場合も同様だったりします。まあ、人の感情に流されてもろくなことはないかと。
嫌いなものが一緒だったとしても「ああ私も嫌い」でおしまいだし、好きなものが一緒でも「ああ私も好き」でおしまい。
共感するのは悪いことではないけれども、今の世の中「感情至上主義」みたいになっちゃってるんで、もうちょい抑制的であった方が良いかなと思うんです。

ネチカ161

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人間の予想に反する行動をするのが〝猫らしく〟感じたりしますが、
そもそも猫は人間が規定した〝猫〟ということに縛られたりはしないのです。
そんな勝手気ままなところがまた猫らしく感じるのですが、アレ?
まあ、いいですが、猫を見習って(猫はそんなことすら考えていないとは思いますが)、自分で決めた自分のキャラクターについて頓着しないというのも良いかと思います。

ネチカ160

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現在は過去を土台にして出来上がっているのですが、現在の中に過去そのものは〝物質的には〟存在しないような気がします。
食べてしまったご飯はもう無いのだし、今日楽しかったことはもう終わってしまい、過ぎ去ってしまいました。
なんだかパラドクスめいています。
ただし私たちは次々に到来する現在の中で、目の前の様々な事象を過去の経験によって判断します。
「これはペンだ」「リンゴだ」「これはパイナッポーだ」と判断出来るのは過去の経験があるからです。
従って極端な話ですが「現在と過去は共存している」とする考え方もあったりします。
「過ぎ去る」と「共存する」の2種類の過去です。
過ぎ去った過去は出来事として覚えていますが、共存する過去は覚えていない場合が多いです(私はいつこれがペンだと知ったか、むしろどのようにして言葉を覚えたのか)。
「自分では覚えていない過去は現在と共存している」というのもまたパラドクスめいていますね。